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「食」に対する価値観

「食」に費やす時間を節約する現代

自分で調理する機会が少なくなった昨今、お店で食べる外食、スーパーマーケットやコンビニエンスストアのお弁当・お惣菜など、自分以外の人が作ってくれる料理を食べるのが、多忙な人々の当たり前の日常です。

 

それが悪いというのではなく、なぜこうなったのかを考えてみるのは、食事の未来を考えるうえで必要なことではないでしょうか。

 

単に忙しいということもあるでしょう。しかし、そこには食事に費やす時間を短くしても、仕事や睡眠、勉強、遊びなどに時間を費やすほうが大事という考えが先行しているのではないでしょうか。

 

食事を作る側も、食べる側も、「食」に費やす時間を節約し、有益で効率的な日常を過ごすことに意義を見出す、あるいはそうせざるを得ない、それが今日の食の状況に沿った考え方のように思われます。

「食」に時間をかけた明治末期

閑話休題・・・。

今も愛読される文豪、夏目漱石の「門」という小説で、家賃の支払いも事欠く若い夫婦が、下女(お手伝いさんの当時の言い方)を家に住まわせて家事全般の手伝いをさせていることに、私は驚きを覚えました、妻は専業主婦です。

 

その暮らしぶりは、家事のかなりの部分が食事の下ごしらえや調理の準備に充てられます。食材の中心となるのは野菜で、漬物や乾物に加工し、保存して無駄なく食べていきます。

 

たまに入る干魚は、きれいに食べたあと残った頭や骨のところを煮て出汁をとり、それでも残ってしまう部分は充分に炒って調味し、間食として食べられるよに工夫していました。

 

食材を余すところなく、時間をかけて調理し、調味料さえも手作りしていました。明治末期のこの時代は生ゴミも出なかったようです。

 

現代において、このような手のかかる食のエコ生活を送ろうとすれば相当な困難が生じることは否めませんね。ふつうの生活者にはまったく不可能と断じても過言ではないでしょう。