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肉体は強靭な心の容れ物

精神の持続力は肉体の基礎体力

昨年から、できるだけ朝早く起きて、お弁当を作って会社へ行くようにしています。なぜ朝早くかというと、頭がクリアに冴えていろいろなアイディアが浮かんだり、集中的に企画を考えたりできる時間が寄る年波でどんどん短くなってきたからです。とくに昼ごはんを食べた後は、もう十分な集中力が確保できません。

 

老いや病は思考が働ける時間を確実に短くします。それは身体と脳がわかちがたく結びついているからです。そのことを敬愛する小説家、村上春樹さんは次のように書いています。

 

「身体が素直に感じることに注意深く耳を澄ませるのは、ものを創造する人間にとっては基本的に重要な作業であったのだなと痛感します。精神にせよ頭脳にせよ、それらは結局のところ、等しく僕らの肉体の一部なのです。そして精神と頭脳と肉体の境界は、僕に言わせてもらえば - 生理学者がどのように述べているかはよく知りませんが ー それほどくっきりと明確な線で区切られているものではないのです。」(「職業としての小説家」より)

 

村上春樹さんは、小説とくに長編小説を書くという営み(仕事)は、数年に渡り毎日ひとり机に向かい、5時間ほど精神を集中して物語を書き続けるという継続的な作業であり、そこに絶対必用な「持続力」は、シンプルに肉体の基礎体力である、と言い切っています。

 

「それでは持続力を身につけるためにはどうすればいいのか?それに対する僕の答えはただひとつ。とてもシンプルなものです。 ー 基礎体力を身につけること。逞しくしぶといフィジカルな肉体的な力を獲得すること、自分の身体を味方につけること。」(「職業としての小説家」より)

 

村上春樹さんは専業作家として独立した時から、毎日1時間ランニングか水泳をすることを生活習慣にして30年以上続けてきました。そしてその営みは単に基礎体力をつけることに留まらず、ある種の強い心を村上さんに与えてくれました。

 

「小説家の基本は物語を語ることです。そして物語を語るというのは、言い換えれば意識の下部に自ら下っていくことです。心の闇の底に下降していくことです」  (「職業としての小説家」より)

 

地下の暗闇には小説にとっての養分もあれば、危険なものごとを待ち構えていて、場合によってはそれにからめ捕られて闇から帰還することができなくなることもあります。過去の物語作家の多くが道に迷い、ついには精神に異常をきたしたら、自ら命を断ったり、そこまでいかなくても小説から逃げ出したりしています。

 

「そのような深い闇の力に対抗するには、その様々な危険と日常的に向き合うためには、どうしてもフィジカルな強さが必要になります。・・・心はできるだけ強靭でなくてはならないし、長い期間にわたってその心の強靭さを維持するためには、その容れ物である体力を増強し、管理維持することが不可欠になります。」(「職業としての小説家」より)

 

そのような強い身体、強い心は、「僕の中に生まれつき備わっていたものではなく、後天的に獲得されたもの」であり、意識的に訓練すれば誰にでもある程度身につけられるものであり、今ある自分の状態を最善に保つために不可欠だと語ります。

魂だけを前向きに保つことは不可能

村上春樹さんが「小説家」について語っていることはそのまま「生きる」という営みにあてはめて読み替えることができます。

 

「そしてその強固な意思を長期間にわたって持続させていこうとすれば、どうしても生き方そのもののクォリティーが問題になってきます。
まず十分に生きること。そして”十分に生きる”というのは、すなわち魂を収める”枠組み”である肉体をある程度確立させ、それを一歩ずつ確実に前に進めていくことだ、というのが僕の基本的な考え方です。
生きるというのは(多くの場合)うんざりしてしまうような、だらだらとした長期戦です。肉体をたゆまず前に進める努力をすることなく、意思だけを、あるいは魂だけを前向きに強固に保つことは、僕に言わせれば、現実的にほとんど不可能です。
人生というものはそんなに甘くはありません。毛校がどちらかひとつに偏れば、人は遅かれ早かれいつか必ず、逆の側からの報復(あるいは揺り戻し)を受けることになります。一方に傾いた秤は、必然的にもとに戻ろうとします。時事かるな力とスピリチュアルな力は、いわば車の両輪なのです。それが互いにバランスを撮って機能しているとき、最も正しい方向性と、最も有効な力がそこに生じることになります。」(「職業としての小説家」より)

 

村上春樹さんは、小説家や芸術家のような一見意識と感性だけで成立しているかのように見える職業=生き方でも、その背景にはどのような生き方とも共通の「身体とこことの強さのバランス」が不可欠であり、それは先天的な才能ではなく、日々の努力のたゆまぬくりかえしによって誰でも獲得できると、自らの体験から私たちに伝えてくれます。