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亡き父の大好物は「きのこ」

父と「きのこ」

9月30日は亡き父の命日です。

 

父は食べ物の好き嫌いが激しい人で、特に野菜類は苦手なものが多く、母はいつも食事作りに苦労していました。

 

そんな父が、これを出しておけば文句を言わない食材が「きのこ」でした。

 

当然秋にはほぼ毎日、しいたけ・しめじ・なめこ・えのき茸が登場し、おかげで子供時代きのこが苦手だった私には、きのこのシーズンの食卓は苦行の場でした。

 

こうしてきのこを並べてみると、今では常連のマイタケやエリンギって当時はみたことなかったですね。それに当時はシメジの名前で出てたものは今はハツタケって呼ばれています。

 

当時(昭和40年代)でもマツタケは大変高級な食材で、隣家からのお裾分けで年に1、2度口にするかどうかでした。もちろん少量のマツタケは父用に土瓶蒸しや焼き物で提供されるのですが、個人的には全然うらやましくなかったですね。

 

ところがある時、母がマツタケに虫がたくさんいて、とても土瓶蒸しとかにはできないからと、細かく裂いてマツタケご飯を炊きました。これを最初は嫌々食べさせられたのですが、ひとくち食べて「あれっ、おいしい」と驚きました。平城匡史10歳にてマツタケデビューでした。

 

このマツタケご飯がきっかけになったのか、その後、その他のきのこもいつしか食べられるようになりました。今ではもちろん大好物の一つです。

 

父とは、その晩年7年ほど一緒に住んでいました。父は10月生まれなので、誕生祝を兼ねて10月中旬の奥会津の温泉に車で連れて行ったことがあります。温泉宿の食事には旬のきのこが天ぷらや鍋の具材として次々と登場し、父も大変満足そうでした。

 

帰路の奥鬼怒川あたりでしょうか、天然のきのこを所狭しと並べている屋台が国道沿いに出ていました。父はすぐに車を止めさせ、名前もわからないきのこを、次々ち買い求めました。

 

当然調理するのは私ですから、店番のおじさんに、どうやって食べると美味しいか尋ねたところ返ってきた答えは「どう料理しても美味しい」でした。

 

でも、この言葉はウソではありませんでした。枯葉のついたきのこたちは、泥を落とすのがたいへんでしたが、炊き込みご飯にしても、味噌汁の具材にしても、キノコ鍋にしても。湯がいて大根おろしと和えても、独特の濃い味わいが抜群でした。