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コロナ禍の中で見つけた光

今朝会社に向かう電車の中でのことです

座っていた若い(20代後半?)女性が、さっと立ち上がって自分の前に立っていた(これまた若い、同じくらいの)女性に席を譲りました。立っていた女性も小さな声で“ありがとうございます”とつぶやいてすぐに席に座りました。

 

お隣の西友に入ると、1階の生活雑貨のコーナーでは、既にティッシュペーパーの商品出しを待つ人が集まっています。地下の食品売り場でも、レトルトの棚のあたりは人がいっぱいでした。

 

席を譲った女性の隣に立っていた私は、最初なぜ若い女性が若い女性に席を譲ったかわからなかったのですが、座った女性のカバンに付けてあった小さなバッジを見て納得しました。

 

「お腹の中に赤ちゃんがいます」

 

でもこのバッジ色も薄いピンクで目立たないし、譲られた女性も、お腹が大きいわけではないので、ぼーっとしていれば気が付かないでしょうね。実際若い女性の両隣に座っていたおじさん達は、全然気づかない様子でしたから。

実は先月の末から10日間ほどで、このような場面を見るのはこれで3回目です。それまではお年寄りに席を譲るところは時々見ていましたが、(それとはわからないような)妊婦さんへ席を譲るのを見たのは、たぶん3.11のあった年以来です。

 

あの時は計画節電で、電車の本数が減って、とんでもなく混んだ列車でやっと座ったであろう席を、中年の女性が前の若い女性に「どうぞ」と譲っていました。

 

その時も私はどうして自分より若い人に席を譲るのか、すぐにはわからなくて、席を譲られた女性がかかとの無いぺったんシューズを履いているのを見て、なるほどと腑に落ちたものでした。

 

コロナの影響で人に優しくなる?

先日のようなことは一般化はできないと思うけど、世の中が危機的になると、“自分や家族を守る”という気持ちだけではなく、(相対的に)弱い人に手を差し伸べよう、という意識もまた自然に沸いてくるのかもしれないなと思ってしまいます。特に女性から。

 

自分だけでなく、周りへ無意識に気づかいするから、目立たないバッジや、ちょっとした仕草や、身につけているものの感じから、お腹に赤ちゃんがいる、ことを察知できるのかもしれません。

 

いずれにしろ、ヒラキは今朝のシーンを目撃して、ちょっと豊かな気持ちをもらいました。

 

新型コロナウィルスの流行は、私たちの心に暗い影を落としてはいるけれど、そんな中でも、より弱い人を気づかう無意識が育まれてくるのなら、それは私たちのこれからを照す小さいけれど確実な光であると思いました。