新型コロナに負けない社会とは
2020年02月25日
「現場担当者を大切にする」
地方自治体職員の友人がSNSで次のように書いていました。
「公衆衛生担当として、COVID-19対応に追われる日々。なので、敢えてその対策のことには触れないが、台風対応などでも同様で、現在進行中の災害についての行政批判は抑えて欲しいと思う。指示命令系統を撹乱させるだけだからだ。収束してから、たっぷりと検証をすれば良いし、場合によっては責任の所在が問われる事もあるだろう。」
全くその通りですね。
災害発生時には「職務として対応される方々」がどうしたら仕事しやすいかを優先的に考えていくことが何よりも大切です。私たちは行政の方々、医療関係者の方々、学校教職員の方々などを「公的サービス」の担い手、と捉えがちです。この「公的サービス」という言葉良くないですよね。
「公的サービス」というと、私たち市民はこの「公的サービス」の受益者という位置づけになってしまいます。そして税金やら社会保険料やら対価(例えば給食費や教育費)やらの形で金出しているのだから、それに見合ったサービスを提供しろ、と文句言う立場に無意識のうちに立ててしまいます。
もちろんそういう側面も皆無ではないのですが、本来「公的」(公共)とは、私たち全員が担い手(主体者)である社会活動分野のことを指すと思います。とりわけ災害対応は間違いなくそういう分野の代表です。
災害対応は、マニュアルや前例に頼れないことが数多く発生する現場です。そして時間との戦いになる。だから前線に立つ行政の担当者に出来るだけ多くの権限を与え、私たちはその指揮の下でその方々を支援し、働きやすくすることが「公共心」のある行動です。
最中での行政批判に反応するのは、行政や政治のトップ層です。彼らは人気商売ですから市民やメディアからの“有難い”批判にお応えするために、現場の責任者へ指示を出してしまいます。指示命令系統のかく乱はこうして発生し、現場に徒労感が支配するようになります。
我が国の災害時の市民の対応力と団結力の高さは、阪神淡路大震災、東日本大震災等の際にも世界から賞賛されました。我慢強く、協力的な「公共心」は私たちの文化的資産です。ぜひ新型コロナ禍の中でも、瞠目されるような「公共心」が発揮されることを願ってやみません。