菊(キク)について

 

菊(キク)とはキク科キク属の植物で、日本人の生活にとても馴染み深い花の一つです。

菊の歴史・由来

キク科の植物は、大昔から日本に自生していたそうです。ただし、それらの植物は「キク」とは呼ばれておらず、「キク」という名を持った植物は他の多くの植物がそうであるように、中国から薬草として、とくに不老長寿の効果を持つ薬草として日本に伝わったようです。

つまり菊はもともと薬として飲まれて(食べられて)いました。

花札の9月の図柄は菊に盃ですが、これは菊酒といって、酒に菊の花びらを浮かべて、9月9日の重陽の節句に飲むものだそうです。

 

 現在では菊を不老長寿の薬と考えている人はいないかもしれませんが、菊を食べる習慣は残っています。菊の葉なら春菊とか菊菜とか言って食べられています。小菊の花は刺し身に添えられています。

 

昔、冷蔵庫のない時代には、生の魚で食あたりしないように、不老長寿の菊の意味を拡大解釈して、菊の花びらを刺し身といっしょに食べらようです。

現在、スーパーで売られている刺し身は無機質なプラスチックの皿に盛られていますが、造花の菊の花が添えられていることがありますが、食あたりを避けるためのかつてのおまじないの習慣を受け継いでいるのです。

東北には食用菊のブランドがあり、青森の「阿房宮(あぼうきゅう)」、山形の「もってのほか」という食用菊は有名です。酢の物やおひたしにして食べるのですが歯ごたえがあって、味わい深いです。

菊が中国から日本に伝わって依頼、現在まで千年以上の間食されているというのは、とんでもなく長い歴史だと思います。菊は、日本に暮らす人達と、とても相性が良く、不老長寿という効能も魅力的だったのでしょう。

 

たとえ、菊が中国からやってきた「よそもの」だったとしても、もはや菊は日本に暮らす人たちと切っても切れない関係にあります。 法律では定められていませんが、キクはヤマザクラとともに日本の国花であり、皇室の花でもありあります。

戦後、菊は皇室の独占ではなくなりましたが、菊を尊重する風習は今日でも日本の至るところで見られます。

皇室の「菊の御紋章」のほか、警視庁の徽章、国会議員たちが胸につけている議員バッジ、日本国パスポートの表紙の図案まで、すべて菊でデザインされています。

菊の効果・効能

中国本草の古典「神農本草経」には、「久しく服すれば、血気を利し、身を軽くし、天年を延べる」ときさいされていて、菊は長寿の薬とされています。

漢方薬用としては、様々な症状に使われています。例えば、目に関する症状(視力減退、目のかすみ、火照り感のある目の充血、まぶたの腫れや痛み)、風邪に関する症状(発熱、頭痛、咳、咽喉の痛み)などの症状に常に用いられています。

菊花には機能性成分として数十種類のフラボノイド類を含有しています。

中でも多く含まれる成分としては、ルテオリンやアピゲニンなどです。 菊花は漢方薬として長い利用歴史があることから、その機能性についての研究も進んでいます。

 

今まで、脂肪肝改善作用、抗酸化作用、メラニン産生抑制作用、学習記憶改善作用、睡眠改善作用、心血管保護作用、抗不整脈作用、脳保護作用、神経保護作用、抗炎症作用、抗ガン作用、解毒作用、抗HIV作用、抗結核菌作用、高変異原生作用などが報告されています。 また、尿酸産生抑制作用による抗痛風作用や女性ホルモン様作用の報告もあります。

菊人形の歴史

 

江戸時代には、まだ「菊人形」という言葉は登場していません。

最初は、聞く栽培を趣味にしている人や植木屋が、熱心に菊を育てた結果、さまざまな工夫から菊人形のような造形を誕生させたのです。 こんなものつくってみましたけど、いかがでしょう?といういう感じだったと思われます。

 

すると、みんながおもしろがったために、植木屋さんは客寄せに利用しました。「菊人形」を見に来たついでに、盆栽でも買ってくださいね、という程度でしので、この時点では「菊人形」だけで儲けることができるとは思われていませんでした。

集客アイテム程度に考えられていたのに、大勢の人が集まり、「菊人形」が儲けになるかもしれないと重い、植木屋や菊栽培愛好家たちが入場料を取って見せるようになりました。

これが明治時代のはじめの頃。「菊人形」も見世物化で、「菊人形」という言葉もこの頃に登場しました。 しかし、菊人形の見世物は、規模を大きくすると、菊栽培家だけではでません。興行するには、大道具や小道具、菊人形展の小屋が必要になります。

舞台や照明も必要となり、さまざまなプロが入り込みました。 菊人形展をエンターテイメントにすると、さらにお客様が訪れ、秋の娯楽とさえ思われるまでになりました。

 

どれだけたくさんのお客様がお金を払って訪れたかは、二葉亭四迷の「浮雲」に詳しいです。これが明治20年代の頃です。 もうこの頃になると、菊人形興行に必要な、さまざまな専門家が成り立っていました。

植木屋さんや菊栽培家がわざわざ頭にいなくても、大道具師や人形師などで菊人形展を継続することができるまでになっていました。

乃村工藝社の創始者である野村泰資は、かつて菊人形の大道具師で興行も引き受けていました。

ちなみに、菊人形に使われる菊は、特別に栽培された菊で花屋では売られていません。枝をやわらかく、花が先に集まるように栽培されます。

 

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